2010年02月21日
感謝の反対
昨日ルンルンでテニスに行ったはいいものの・・・・
帰ってきたら、
もう座ったまま動けないくらい疲れてて
筋力だけじゃなくて、
恐ろしく体力も落ちてることを実感しやした
前は、朝から晩までコート中走りまわってても、
「まだまだやりた~いo(><)(;><)o」って
だだをこねてたくらいだったのが、
昨日はまるで、
両足に砂袋ぶらさげて走ってるみたい、
前には余裕で取れてたボールにも追いつかず、
テニスをやって初めて、
地球の引力を感じたとです
今までできていたことができなくなるってことは、
思った以上に、
いやなもんでおじゃるのう
たとえば、それが、
年を取ってできなくなるにしても・・・
病気でできなくなるにしても・・・・
どんな理由であっても、
それを受け入れるという作業は
簡単じゃないんだと気づかされたでおじゃる。
うちの父は、
昔から運転が得意で
道もよ~く知ってるのだが、
お正月に子供たちが実家に来て帰る時、
駅まで送っていったのはいいが、
途中で道を間違え、
電車に乗り遅れそうになったり・・・
私が夜に熱が出て、
病院に向かってる途中、
右折ラインと、
対向車線のラインを
間違えて進んでしまったり・・・・
ものすごく危ないので、
それから、
急ぐ時や、暗くなってからの運転は、
私がやるからと言って、
父にハンドルを握ってもらわなかったら・・・
ある日ぽつりと・・・・
「もうお父さんも、免許返したほうがいいかなあ」
「前ならすぐに道もわかったけど、
どうも出てこなくなったよ・・・・」
「にぶくなったなあ、お父さんも・・・・」
と、すごく寂しそうに言ったのでおじゃる。
運転や、道路は、
自分が得意だったものだから、
よけいに、それが衰えたことを受け入れるのは
つらかったんだろうな
私としては、
父も危ないし、
世間一般的にも危ないし
良かれと思って、
父に運転をさせなかったのだけど・・・・
だけど、
頼ってもらえないことを、
父は、すごくこたえていたようで・・・
その時の父の気持が、
今、少しだけわかった気がします。
私に限っていえば、
病気になったことで
できなくなってしまったものはたくさんあるけれど、
でも、
病気になったからこそ
わかったこととか、
気づかされたことのほうが
今の私にとっては宝物だったりして・・・・
失ったものの大きさと同じ分だけ、
ちゃんと代わりのものもらってる
ある人が・・・・
「感謝」の反対は・・・・
「当たり前」
と言ったのだけど・・・
朝目覚めること、
お腹がすくこと
ご飯を食べること、
身体がそれを消化してくれること
排泄すること
眠くなること
家族が健康なこと
テニスすること
仕事すること
爆弾が飛んでこない屋根のある家に住めること
ごくごく当たり前のものって
あって当たり前だから、
なくなってくれるまでちっとも私にはわからなくて・・・・
だから、なくなって初めて、
すごいことだったんだって
そのすごさに気づかされた感じ。
多分、それをみつけてほしいから
神様は、
私に「病気」というプレゼントをよこしたんだろうなと
思うのです。
きっと、今回のプレゼントには、
まだまだ、
みつけなきゃいけない、シークレットが
隠されてる感じがする
次はなんなんだろう。
順番が逆になったけど、
おやじっちの言葉もその一部かもしれないにゃ。
本当は、
そっちのほうが先だったんだけど、
お風呂に入りながら、
リキにその話をしていて、
こっちのほうが書きたくなったので、
順番が違ってしまったが、
おやじっちのほうも書くから、
どうかお待ちを!!
だけど、あれはちょっち、時間がかかるのねん。
ひとまず、今晩はこのあたりでおやすみなさいませ。
あさって、診察があるので、
明日の夜には栃木に向かうでおじゃる。
明日、昼間におやじっち語録完成すればいいのじゃが・・・
いつも一日かかるから、わからないのねん。
がんばるけど、
もし、間に合わなかったらごめんちゃい
私が書く元気の源、ぽちっといっぱいよろしくぴ!
いっぱいになってたら、勇気百倍、スピードも百倍かも
帰ってきたら、
もう座ったまま動けないくらい疲れてて
筋力だけじゃなくて、
恐ろしく体力も落ちてることを実感しやした
前は、朝から晩までコート中走りまわってても、
「まだまだやりた~いo(><)(;><)o」って
だだをこねてたくらいだったのが、
昨日はまるで、
両足に砂袋ぶらさげて走ってるみたい、
前には余裕で取れてたボールにも追いつかず、
テニスをやって初めて、
地球の引力を感じたとです
今までできていたことができなくなるってことは、
思った以上に、
いやなもんでおじゃるのう
たとえば、それが、
年を取ってできなくなるにしても・・・
病気でできなくなるにしても・・・・
どんな理由であっても、
それを受け入れるという作業は
簡単じゃないんだと気づかされたでおじゃる。
うちの父は、
昔から運転が得意で
道もよ~く知ってるのだが、
お正月に子供たちが実家に来て帰る時、
駅まで送っていったのはいいが、
途中で道を間違え、
電車に乗り遅れそうになったり・・・
私が夜に熱が出て、
病院に向かってる途中、
右折ラインと、
対向車線のラインを
間違えて進んでしまったり・・・・
ものすごく危ないので、
それから、
急ぐ時や、暗くなってからの運転は、
私がやるからと言って、
父にハンドルを握ってもらわなかったら・・・
ある日ぽつりと・・・・
「もうお父さんも、免許返したほうがいいかなあ」
「前ならすぐに道もわかったけど、
どうも出てこなくなったよ・・・・」
「にぶくなったなあ、お父さんも・・・・」
と、すごく寂しそうに言ったのでおじゃる。
運転や、道路は、
自分が得意だったものだから、
よけいに、それが衰えたことを受け入れるのは
つらかったんだろうな
私としては、
父も危ないし、
世間一般的にも危ないし
良かれと思って、
父に運転をさせなかったのだけど・・・・
だけど、
頼ってもらえないことを、
父は、すごくこたえていたようで・・・
その時の父の気持が、
今、少しだけわかった気がします。
私に限っていえば、
病気になったことで
できなくなってしまったものはたくさんあるけれど、
でも、
病気になったからこそ
わかったこととか、
気づかされたことのほうが
今の私にとっては宝物だったりして・・・・
失ったものの大きさと同じ分だけ、
ちゃんと代わりのものもらってる
ある人が・・・・
「感謝」の反対は・・・・
「当たり前」
と言ったのだけど・・・
朝目覚めること、
お腹がすくこと
ご飯を食べること、
身体がそれを消化してくれること
排泄すること
眠くなること
家族が健康なこと
テニスすること
仕事すること
爆弾が飛んでこない屋根のある家に住めること
ごくごく当たり前のものって
あって当たり前だから、
なくなってくれるまでちっとも私にはわからなくて・・・・
だから、なくなって初めて、
すごいことだったんだって
そのすごさに気づかされた感じ。
多分、それをみつけてほしいから
神様は、
私に「病気」というプレゼントをよこしたんだろうなと
思うのです。
きっと、今回のプレゼントには、
まだまだ、
みつけなきゃいけない、シークレットが
隠されてる感じがする
次はなんなんだろう。
順番が逆になったけど、
おやじっちの言葉もその一部かもしれないにゃ。
本当は、
そっちのほうが先だったんだけど、
お風呂に入りながら、
リキにその話をしていて、
こっちのほうが書きたくなったので、
順番が違ってしまったが、
おやじっちのほうも書くから、
どうかお待ちを!!
だけど、あれはちょっち、時間がかかるのねん。
ひとまず、今晩はこのあたりでおやすみなさいませ。
あさって、診察があるので、
明日の夜には栃木に向かうでおじゃる。
明日、昼間におやじっち語録完成すればいいのじゃが・・・
いつも一日かかるから、わからないのねん。
がんばるけど、
もし、間に合わなかったらごめんちゃい
私が書く元気の源、ぽちっといっぱいよろしくぴ!
いっぱいになってたら、勇気百倍、スピードも百倍かも