2010年05月21日
またいつかどこかで
おとといの19日・・・・
おやじっちのお父様、
じじちっちが亡くなりました
ちょうどお見舞いに行こうと病院に向かっているところ・・・
病院から連絡があり
私は、アクセル全開
ここ近年、すっかりなりを潜めていた
私の危険極まりない運転が炸裂
覆面が必ずいるという小田厚を疾走し
「捕まったら、思いきっり泣いてやる!
おまわわりさんだって人の子や。
パトカーで先導してくれっかもしんないし。
そや!捕まえてもらったほうがええかも」
・・・・しかし、ついぞ覆面は私を捕まえてくれず、
私は猛スピードと追い越し運転を駆使し
自力で病院に到着
階段をかけあがって病室にたどり着いた時、
病室には、聞きなれた「ピッピッピ」という規則音ではなく、
「ツー」という無情な音が鳴り響いていて、
泣き顔のお母さんがいて、
モニターを見ると、
どの数値も「0」になっていて・・・・。
( ̄◇ ̄ *( ̄◇:;.:... ( ̄:;....::;.:
もしや
こ、これは、俗にいう
死んでしまったってこと?
間に合わなかったってこと?
うっそ・・・違うよね?
と心に思ったけれど、
口には出せずにいたら、
看護師さんが、
「おやじっちさんは、あとどのくらいでつきますか?」
と、緊迫した様子で聞いてきたので
多分、もう来ると思うと伝えると、
じじちっちに向かって
「もうすぐくるって、じじちっちさん!がんばってね」
と声をかけたので、
っつうことは・・・・・?
「あ~まだ逝ってないってことか」
と、胸をなでおろし、
お父さんに向かって、
お母さんと二人、声をかけ続けました。
お母さんは、
お父さんの目を無理やりこじあけ
「ほら、お父さん、
ひろみちゃんがきてくれたよ、
そうちゃんもすぐにくるよ。
がんばるんだよ」
と声をかけ、
私も、
お父さんの体をさすりながら、ゆすりながら
大声でしゃべりかけた。
声をかけるのと、モニターを見るのと、
交互に繰り返し、
とにかく声をかけなきゃ、呼ばなきゃって次から次へとなんでもかんでもしゃべり続けた。
「お父さんっっ、
夜の海におっこちても助かったんだって言ってたじゃん。
何度も危ない目にあっても蘇ってきたじゃん。
今度もあと少しくらいがんばってよ!
もうすぐ、そうちゃん来るから!」
そう言った時、
モニターの数字が14にあがり・・・
「もどったお父さん!
聞こえる?聞こえてるよね?
エジプトのピラミッドの石、持ってきたよね?」
お父さんと過去に会話したこと、
なんでもかんでもしゃべり続けた。
「まだだよ、まだいっちゃだめだよ」
けれど、そう声をかけながら、
実は疑ってはいた
なぜならゆうべ来た時は、
あんなに苦しそうに息してたのに、
なんで今は苦しそうじゃないんだろう?
っつうか、どうして、肺が上下してないん?
息してなくない?
これって・・・・
でも、
私は、
「死」ということを口にできないまま
おやじっちが到着するのを待ち
声をかけ続けた。
だけど、
お医者さんがおやじっちと一緒に入ってきて、
すでに、お父さんは
そこにいないのだと知らされました。
目の前にお父さんはいるのに、
もういないのだと・・・・。
「でも、先生、さっき数値があがったんです。14に!」
と、納得のいかない私が聞くと、
「死後でも、硬直などで少しはあがることがあるんです」
あっさりと返答された。
じゃあ、なんで看護婦さんはもう少しがんばれってじじちっちちに言ってたの?
私が来た時にはやっぱりもう・・・・
享年86歳。
お茶目で、かわいいおじいちゃんでした。
じじちっちは、
3月初め、私が退院して横浜に帰ってきてすぐに、
体調を崩して入院
詳しく検査したところ、
悪性リンパ腫とわかり・・・
それも、私と同じ進行(末期)ガンですでに体中に転移してました
私と違ってたのは、
年齢と体力・・・それと、
リンパ腫はガンの中でも進行の早いガンだということ。
(ここでいう進行が早いとは、ガンの広がり方が早いということです。進行ガンとは別の意味です)
担当の先生から、
そのことを聞いた時、
涙があふれてきてたまらなかったとです。
自分の病気を知った時は、
涙も出ないどころか、
なんともなかったのに・・・・。
不思議です。
じじちっちの病気は、
私には、ショックでした。
血はつながってはないけど、
離婚し、子供たちと3人になった私たちに
かわいがってくれ
子供たちの運動会に来てくれたり、
一緒に食事にいったり、温泉いったり、
子供たちを本当の孫のようにかわいがってくれ
私のことも、
すごくかわいがってくれました。
船乗りで、年のほとんどを海の上で過ごし、
世界中のあちこちに行った人でした。
いつぞやは
今は世界遺産であるピラミッドの石を見せてくれ、
「あのう、お父さん、これって持って来ちゃいけないんじゃないの?」
「ほうか?落っこちとった」
「本当に?(;¬_¬)・・・ 」
「・・・・ちょっとな、コンってやったらのう、
欠けたからのう」
「本当に、コン?ゴンじゃなくてぇ?」
「そこは、ほれ・・・」
と、お父さんは、袖の下にものを入れるしぐさをして
にやっと笑ってた。
選挙の時に、お金をばらまくのとか、
「ほら、いけないことじゃろ」
と言う事をさんざんやってきたらしいが、
もうすべて時効なんやろな、
あっけらかんと笑っておりました。
このおやじありて、息子ありだなあと
じじちっちとおやじっちを見ててよく思ったもんです。
本当に、じじちっちは
人に好かれ、かわいがられてました。
年寄りはさっぱりしたものが好きというけれど、
じじちっちは胃がんで胃が半分以上もないくせに
お肉をバリバリ食い
病院したその日まで、
一年365日、雨の日も風の日も一日も欠かさず
大好きなパチンコやに通って
本当に元気なじいさまでした。
先生曰く
あれだけ体中に、ガンがひろがっている状態だと
通常はもっと痛い思いをしたりするらしいのだが、
お父さんは、
痛みらしい痛みに襲われることもなく、
入院してから、3か月弱・・・
そう苦しい思いを長引かせることもなく
ある意味、
逝けたのは、
じじちっちが守られてたからかもしれません。
じじちっちのお見送りには
おやじっちも私も誰も喪服を着ません。
じじちっちが好きだったアロハシャツを
二人して着ていきます。
きっと喪服みたいのは
じじちっちは好きじゃないとおやじっちが言うので・・・。
海の男だったから、
どこへでも好きなところへ行けるよう
海に流してあげようと言ってます。
そうそう、
リキがこんなことを言ってました。
「ドラクエの呪文が使えたらなあ」
というので、
こんな時でもお前の頭の中は
「ゲームかよ」と情けない気持ちになりながらもなんでか聞いてみたら、
「だってさ、
ザオリク使えば生き返らせられるじゃん
ルーラとか使えば、すぐにおじいちゃんちに行けるし」
そうだね。
それで、ベホマを唱えて、HP完全回復して・・・
キアリー唱えて、病気がお父さんの体から一瞬にして消えて
また元気にパチンコに通えたらどんなにかいいのにな・・・
お父さん、今まで、
私と子供たちをかわいがってくれてありがとう
また、どこかで会おうね
おやじっちのお父様、
じじちっちが亡くなりました
ちょうどお見舞いに行こうと病院に向かっているところ・・・
病院から連絡があり
私は、アクセル全開
ここ近年、すっかりなりを潜めていた
私の危険極まりない運転が炸裂
覆面が必ずいるという小田厚を疾走し
「捕まったら、思いきっり泣いてやる!
おまわわりさんだって人の子や。
パトカーで先導してくれっかもしんないし。
そや!捕まえてもらったほうがええかも」
・・・・しかし、ついぞ覆面は私を捕まえてくれず、
私は猛スピードと追い越し運転を駆使し
自力で病院に到着
階段をかけあがって病室にたどり着いた時、
病室には、聞きなれた「ピッピッピ」という規則音ではなく、
「ツー」という無情な音が鳴り響いていて、
泣き顔のお母さんがいて、
モニターを見ると、
どの数値も「0」になっていて・・・・。
( ̄◇ ̄ *( ̄◇:;.:... ( ̄:;....::;.:
もしや
こ、これは、俗にいう
死んでしまったってこと?
間に合わなかったってこと?
うっそ・・・違うよね?
と心に思ったけれど、
口には出せずにいたら、
看護師さんが、
「おやじっちさんは、あとどのくらいでつきますか?」
と、緊迫した様子で聞いてきたので
多分、もう来ると思うと伝えると、
じじちっちに向かって
「もうすぐくるって、じじちっちさん!がんばってね」
と声をかけたので、
っつうことは・・・・・?
「あ~まだ逝ってないってことか」
と、胸をなでおろし、
お父さんに向かって、
お母さんと二人、声をかけ続けました。
お母さんは、
お父さんの目を無理やりこじあけ
「ほら、お父さん、
ひろみちゃんがきてくれたよ、
そうちゃんもすぐにくるよ。
がんばるんだよ」
と声をかけ、
私も、
お父さんの体をさすりながら、ゆすりながら
大声でしゃべりかけた。
声をかけるのと、モニターを見るのと、
交互に繰り返し、
とにかく声をかけなきゃ、呼ばなきゃって次から次へとなんでもかんでもしゃべり続けた。
「お父さんっっ、
夜の海におっこちても助かったんだって言ってたじゃん。
何度も危ない目にあっても蘇ってきたじゃん。
今度もあと少しくらいがんばってよ!
もうすぐ、そうちゃん来るから!」
そう言った時、
モニターの数字が14にあがり・・・
「もどったお父さん!
聞こえる?聞こえてるよね?
エジプトのピラミッドの石、持ってきたよね?」
お父さんと過去に会話したこと、
なんでもかんでもしゃべり続けた。
「まだだよ、まだいっちゃだめだよ」
けれど、そう声をかけながら、
実は疑ってはいた
なぜならゆうべ来た時は、
あんなに苦しそうに息してたのに、
なんで今は苦しそうじゃないんだろう?
っつうか、どうして、肺が上下してないん?
息してなくない?
これって・・・・
でも、
私は、
「死」ということを口にできないまま
おやじっちが到着するのを待ち
声をかけ続けた。
だけど、
お医者さんがおやじっちと一緒に入ってきて、
すでに、お父さんは
そこにいないのだと知らされました。
目の前にお父さんはいるのに、
もういないのだと・・・・。
「でも、先生、さっき数値があがったんです。14に!」
と、納得のいかない私が聞くと、
「死後でも、硬直などで少しはあがることがあるんです」
あっさりと返答された。
じゃあ、なんで看護婦さんはもう少しがんばれってじじちっちちに言ってたの?
私が来た時にはやっぱりもう・・・・
享年86歳。
お茶目で、かわいいおじいちゃんでした。
じじちっちは、
3月初め、私が退院して横浜に帰ってきてすぐに、
体調を崩して入院
詳しく検査したところ、
悪性リンパ腫とわかり・・・
それも、私と同じ進行(末期)ガンですでに体中に転移してました
私と違ってたのは、
年齢と体力・・・それと、
リンパ腫はガンの中でも進行の早いガンだということ。
(ここでいう進行が早いとは、ガンの広がり方が早いということです。進行ガンとは別の意味です)
担当の先生から、
そのことを聞いた時、
涙があふれてきてたまらなかったとです。
自分の病気を知った時は、
涙も出ないどころか、
なんともなかったのに・・・・。
不思議です。
じじちっちの病気は、
私には、ショックでした。
血はつながってはないけど、
離婚し、子供たちと3人になった私たちに
かわいがってくれ
子供たちの運動会に来てくれたり、
一緒に食事にいったり、温泉いったり、
子供たちを本当の孫のようにかわいがってくれ
私のことも、
すごくかわいがってくれました。
船乗りで、年のほとんどを海の上で過ごし、
世界中のあちこちに行った人でした。
いつぞやは
今は世界遺産であるピラミッドの石を見せてくれ、
「あのう、お父さん、これって持って来ちゃいけないんじゃないの?」
「ほうか?落っこちとった」
「本当に?(;¬_¬)・・・ 」
「・・・・ちょっとな、コンってやったらのう、
欠けたからのう」
「本当に、コン?ゴンじゃなくてぇ?」
「そこは、ほれ・・・」
と、お父さんは、袖の下にものを入れるしぐさをして
にやっと笑ってた。
選挙の時に、お金をばらまくのとか、
「ほら、いけないことじゃろ」
と言う事をさんざんやってきたらしいが、
もうすべて時効なんやろな、
あっけらかんと笑っておりました。
このおやじありて、息子ありだなあと
じじちっちとおやじっちを見ててよく思ったもんです。
本当に、じじちっちは
人に好かれ、かわいがられてました。
年寄りはさっぱりしたものが好きというけれど、
じじちっちは胃がんで胃が半分以上もないくせに
お肉をバリバリ食い
病院したその日まで、
一年365日、雨の日も風の日も一日も欠かさず
大好きなパチンコやに通って
本当に元気なじいさまでした。
先生曰く
あれだけ体中に、ガンがひろがっている状態だと
通常はもっと痛い思いをしたりするらしいのだが、
お父さんは、
痛みらしい痛みに襲われることもなく、
入院してから、3か月弱・・・
そう苦しい思いを長引かせることもなく
ある意味、
逝けたのは、
じじちっちが守られてたからかもしれません。
じじちっちのお見送りには
おやじっちも私も誰も喪服を着ません。
じじちっちが好きだったアロハシャツを
二人して着ていきます。
きっと喪服みたいのは
じじちっちは好きじゃないとおやじっちが言うので・・・。
海の男だったから、
どこへでも好きなところへ行けるよう
海に流してあげようと言ってます。
そうそう、
リキがこんなことを言ってました。
「ドラクエの呪文が使えたらなあ」
というので、
こんな時でもお前の頭の中は
「ゲームかよ」と情けない気持ちになりながらもなんでか聞いてみたら、
「だってさ、
ザオリク使えば生き返らせられるじゃん
ルーラとか使えば、すぐにおじいちゃんちに行けるし」
そうだね。
それで、ベホマを唱えて、HP完全回復して・・・
キアリー唱えて、病気がお父さんの体から一瞬にして消えて
また元気にパチンコに通えたらどんなにかいいのにな・・・
お父さん、今まで、
私と子供たちをかわいがってくれてありがとう
また、どこかで会おうね