2012年06月28日
たてこもり なう!
違った
ひきこもりじゃった~(* ̄▽ ̄)
私に何が起きたのか、ですと?
まあ、一言で言うと、
テニスに行きたくなくなってしまった、っていうんかなあ(〃⌒∇⌒)ゞ
それは、
私にとっても、家族にとっても、
まわりの友人たち、主治医の先生にとっても、
マジ、まともじゃない、のは一目瞭然でござった。
なんてったって、
私は皆様ご存知の通り、究極に近いテニスバカ
私からテニスを取ったらなんも残らん
なのに、
その私が「テニスに行きたくならない」とはありえん話でおじゃる。
なんでまたそんなことに( ̄ー ̄?).....
と、皆様の頭のまわりに「

」が飛んでるのが目に見えるようですが
順を追って書いていくので、まあそう焦らず聞いてちょ。
話はまた2年前にさかのぼりますが、
ホルモン剤に変わった時、
先生から、何をしてもいいと言われました。
仕事でも、旅行でも、なんでも。
もちろんテニスもおっけ~
わぁいヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノわぁい♪
私が椅子から立ち上がって
踊り出しそうになったのは言うまでもない。
しかし
これには、条件がついていた。
疲れない程度にという条件。
それって…
もしかして…
そうか。
そうだよね。
そこで私の思考回路は停止した。
正確に言うと、
意識的にそれ以上考えるのをやめた。
みんなには
「ひろみちゃんは、これから
お気楽テニスやるんだほ
」
って言った。
まあ、私お得意の、
臭いものに蓋をしたっていうのかな
別名、現実逃避とも言うが( ̄▽ ̄;)
それからというもの、
楽しい一年半でござった
クラブに私が「姉さん」と呼ぶセレブな姉御がいるのだが、
姉さんと二人で、草トーでまくって、
初めは全負けだったのが、
1位リーグにあがるようになって、
そのうち決勝までいくようになって…
シングルスとはまた違った女ダブの楽しさを味わわせてもらった
私はクラブ育ちだったし、
前は仕事もしてたから
クラブ以外にテニス仲間があまりいなかったのだが、
だんだん友達も増えて、
いろんな人と試合に出るようになって
まさに、
エンジョイテニスライフでございました
だけど、神様は私に、
そのままお気楽テニスをさせてはくれなかった

ずっと封印してきたはずのバケツのフタが
あることをきっかけに開いてしまったのでおじゃる。
私は、目を背けていた現実に
否が応でも直面させられることになった。
って、
ここらで、そろそろ、
あのセリフが出るんじゃないかと皆様思ってるでしょう( ̄ー ̄)
ぴんぽ~ん
「とっても長くなったので、
この続きはまた明日
」
え?このせりふ?
だってぇ、yamamamaさんが楽しみにしてるから、
ご期待にお応えしなきゃと思いまして
わからない方は、前回のyamamamaさんのコメント読んでくれりゃわかります
ぽちっと押していいこで待っててちょ(* ̄∇ ̄*)





ひきこもりじゃった~(* ̄▽ ̄)
私に何が起きたのか、ですと?
まあ、一言で言うと、
テニスに行きたくなくなってしまった、っていうんかなあ(〃⌒∇⌒)ゞ
それは、
私にとっても、家族にとっても、
まわりの友人たち、主治医の先生にとっても、
マジ、まともじゃない、のは一目瞭然でござった。
なんてったって、
私は皆様ご存知の通り、究極に近いテニスバカ
私からテニスを取ったらなんも残らん

なのに、
その私が「テニスに行きたくならない」とはありえん話でおじゃる。
なんでまたそんなことに( ̄ー ̄?).....
と、皆様の頭のまわりに「




順を追って書いていくので、まあそう焦らず聞いてちょ。
話はまた2年前にさかのぼりますが、
ホルモン剤に変わった時、
先生から、何をしてもいいと言われました。
仕事でも、旅行でも、なんでも。
もちろんテニスもおっけ~

わぁいヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノわぁい♪
私が椅子から立ち上がって
踊り出しそうになったのは言うまでもない。
しかし
これには、条件がついていた。
疲れない程度にという条件。
それって…
もしかして…
そうか。
そうだよね。
そこで私の思考回路は停止した。
正確に言うと、
意識的にそれ以上考えるのをやめた。
みんなには
「ひろみちゃんは、これから
お気楽テニスやるんだほ

って言った。
まあ、私お得意の、
臭いものに蓋をしたっていうのかな

別名、現実逃避とも言うが( ̄▽ ̄;)
それからというもの、
楽しい一年半でござった

クラブに私が「姉さん」と呼ぶセレブな姉御がいるのだが、
姉さんと二人で、草トーでまくって、
初めは全負けだったのが、
1位リーグにあがるようになって、
そのうち決勝までいくようになって…
シングルスとはまた違った女ダブの楽しさを味わわせてもらった

私はクラブ育ちだったし、
前は仕事もしてたから
クラブ以外にテニス仲間があまりいなかったのだが、
だんだん友達も増えて、
いろんな人と試合に出るようになって
まさに、


だけど、神様は私に、
そのままお気楽テニスをさせてはくれなかった


ずっと封印してきたはずのバケツのフタが
あることをきっかけに開いてしまったのでおじゃる。
私は、目を背けていた現実に
否が応でも直面させられることになった。
って、
ここらで、そろそろ、
あのセリフが出るんじゃないかと皆様思ってるでしょう( ̄ー ̄)
ぴんぽ~ん

「とっても長くなったので、
この続きはまた明日

え?このせりふ?
だってぇ、yamamamaさんが楽しみにしてるから、
ご期待にお応えしなきゃと思いまして

わからない方は、前回のyamamamaさんのコメント読んでくれりゃわかります

ぽちっと押していいこで待っててちょ(* ̄∇ ̄*)




2012年06月23日
ガン君のその後
さて、今日は、
皆様がご心配してくださってると思うので、
病気のことを書こうと思うでおじゃる
2年前の春、
アレルギーを起こしたせいで抗ポン剤が使えなくなり(参照:生還じゃ(`◇´)ゞ)
その後、治療はホルモン剤に変わりました。
一口に「ガン」と言っても、様々なタイプがあるようで、
中でも私の乳がんのタイプは、
ホルモンに比例するタイプのもので、
女性ホルモンを抑えればガンの増殖も抑えられるというものだったためです。
このホルモン剤
ガンを直接攻撃する、放射線や、抗がん剤、手術などの治療と違って、
ガン細胞そのものをはがいじめにして身動きできないようにするもので、
ガンがなくなるわけじゃにゃいので治ることはないが、
うまくいきゃ、増殖を止めることができて、
その間は延命できるというものです。
しかも、抗がん剤みたいに
髪の毛が抜けたり、気持ち悪くなったり…
とかの副作用もなく、普通の生活ができるのです。
ちょっと待てっ!
そんないい方法あんなら、
最初からやってくれりゃいいじゃん (」゜ロ゜)」
ってお思いますよね?
ごもっとも!
じゃが、残念ながら、
一見いいことづくめに見えるこのホルモン剤、
効き目が判断できるまで数ヶ月かかるのじゃ。
なので、私のように切迫した状態の時には使えない。
だってもし、効かなかった場合、そのまま天国直行
になっちゃうんで(;^_^ A
だから先生は、
抗がん剤で叩けるとこまで叩いて、
あとはホルモン剤って予定だったらしいのじゃが、
おかげさまで、数回とはいえ、
抗ガン剤のおかげで少しは時間に余裕ができたので、
ホルモン剤に変えることができたのです
幸い
ホルモン剤は私のポン君と仲良いようで
合間に少々喧嘩してる時期もあり、救急車
かってこともありましたが、
お互いを認め合いながら、
私の中でうまく共存してくれているようです
今思えば、
病気になる前の私の生活は
正直、毎日が駆け足でした
仕事いって
テニスいって
急いで買い物して
夕飯支度して、
洗濯して
それが終わったら、息つく間もなくパソコン
に向かって日報
を作って
寝るのは大抵、夜中の2時くらい。
本当に忙しかった。
でも、そんなのは、世の中の仕事してるお母さんはみんな同じようなものだし、
私だけってわけじゃない。
だけど、肉離れを起こして検査に行き始めた頃、
エリアマネージャーみたいな仕事をさせられることになり、
そんなことになった日にゃ、
平日テニスやる時間がなくなることは確実だったから
「だったら辞めちゃうからね
」
って必死に抵抗したんだけど、
「またまた
そんなこと言わないで、
ねっ
よろしく頼むよ」
と、全く本気にしてもらえず
私の意向は完全無視で、どんどん話が進んでいっちゃって
たださえ、テニスする時間がないのに、
この上更にできなくなって、
仕事オンリーの毎日なんかありえない
こうなったら… (;¬_¬)
「辞めるしかね
」
そんなにっちもさっちもいかない状態の時に聞いた
検査の結果。
普通の人ならショックを受けたと思うのだけど…
私のばやい
「やった!( T ▽ T )ノ
これで辞められるぅ!
」
要は、病気すら歓迎しちゃうほど、
あの状況から逃げ出したくてたまらなかったってことだな
今思うと、
私が自分の心のアンテナになかなか従わなかったから、
体が限界を感じて、病気を作り出したんじゃないかと。
第4ステージの転移している進行ガンで、
手術をすることも一生ないし、
治ることもないと先生には言われてるけど
でも、
心がちゃんと進むべき方向に進み始めて、
病気が私に必要ない日がきたら、
ガン君は自然と消えていくに違いない
そう私は思っています。
今、私の中のガン君は、本当にいいこで
おとなしくしててくれて、
おかげさまで普通に生活ができています
それも、これもみんな、
おやじっちや子供たち、
親や、妹、
クラブの皆様、
そして、このブログをずっと応援し続けてくれた皆様のおかげだと思っています。
退院したと思ったらまた入院、で大変だったあの頃、
このブログは本当に私の力の源になりました。
皆様からのコメントやぽちっとに
どれだけ励まされたことか。
本当に、本当にありがとうございました。
って、まるで、これが最後ってな感じのしめくくりだったけど、
これで終わりじゃないので、安心してぽちっと押しってくれ




皆様がご心配してくださってると思うので、
病気のことを書こうと思うでおじゃる

2年前の春、
アレルギーを起こしたせいで抗ポン剤が使えなくなり(参照:生還じゃ(`◇´)ゞ)
その後、治療はホルモン剤に変わりました。
一口に「ガン」と言っても、様々なタイプがあるようで、
中でも私の乳がんのタイプは、
ホルモンに比例するタイプのもので、
女性ホルモンを抑えればガンの増殖も抑えられるというものだったためです。
このホルモン剤
ガンを直接攻撃する、放射線や、抗がん剤、手術などの治療と違って、
ガン細胞そのものをはがいじめにして身動きできないようにするもので、
ガンがなくなるわけじゃにゃいので治ることはないが、
うまくいきゃ、増殖を止めることができて、
その間は延命できるというものです。
しかも、抗がん剤みたいに
髪の毛が抜けたり、気持ち悪くなったり…
とかの副作用もなく、普通の生活ができるのです。
ちょっと待てっ!
そんないい方法あんなら、
最初からやってくれりゃいいじゃん (」゜ロ゜)」
ってお思いますよね?
ごもっとも!
じゃが、残念ながら、
一見いいことづくめに見えるこのホルモン剤、
効き目が判断できるまで数ヶ月かかるのじゃ。
なので、私のように切迫した状態の時には使えない。
だってもし、効かなかった場合、そのまま天国直行

だから先生は、
抗がん剤で叩けるとこまで叩いて、
あとはホルモン剤って予定だったらしいのじゃが、
おかげさまで、数回とはいえ、
抗ガン剤のおかげで少しは時間に余裕ができたので、
ホルモン剤に変えることができたのです

幸い
ホルモン剤は私のポン君と仲良いようで

合間に少々喧嘩してる時期もあり、救急車

お互いを認め合いながら、
私の中でうまく共存してくれているようです

今思えば、
病気になる前の私の生活は
正直、毎日が駆け足でした

仕事いって

テニスいって

急いで買い物して
夕飯支度して、
洗濯して

それが終わったら、息つく間もなくパソコン


寝るのは大抵、夜中の2時くらい。
本当に忙しかった。
でも、そんなのは、世の中の仕事してるお母さんはみんな同じようなものだし、
私だけってわけじゃない。
だけど、肉離れを起こして検査に行き始めた頃、
エリアマネージャーみたいな仕事をさせられることになり、
そんなことになった日にゃ、
平日テニスやる時間がなくなることは確実だったから

「だったら辞めちゃうからね

って必死に抵抗したんだけど、
「またまた

そんなこと言わないで、
ねっ

と、全く本気にしてもらえず

私の意向は完全無視で、どんどん話が進んでいっちゃって

たださえ、テニスする時間がないのに、
この上更にできなくなって、
仕事オンリーの毎日なんかありえない

こうなったら… (;¬_¬)
「辞めるしかね

そんなにっちもさっちもいかない状態の時に聞いた
検査の結果。
普通の人ならショックを受けたと思うのだけど…
私のばやい
「やった!( T ▽ T )ノ

これで辞められるぅ!

要は、病気すら歓迎しちゃうほど、
あの状況から逃げ出したくてたまらなかったってことだな

今思うと、
私が自分の心のアンテナになかなか従わなかったから、
体が限界を感じて、病気を作り出したんじゃないかと。
第4ステージの転移している進行ガンで、
手術をすることも一生ないし、
治ることもないと先生には言われてるけど
でも、
心がちゃんと進むべき方向に進み始めて、
病気が私に必要ない日がきたら、
ガン君は自然と消えていくに違いない
そう私は思っています。
今、私の中のガン君は、本当にいいこで

おとなしくしててくれて、
おかげさまで普通に生活ができています

それも、これもみんな、
おやじっちや子供たち、
親や、妹、
クラブの皆様、
そして、このブログをずっと応援し続けてくれた皆様のおかげだと思っています。
退院したと思ったらまた入院、で大変だったあの頃、
このブログは本当に私の力の源になりました。
皆様からのコメントやぽちっとに
どれだけ励まされたことか。
本当に、本当にありがとうございました。
って、まるで、これが最後ってな感じのしめくくりだったけど、
これで終わりじゃないので、安心してぽちっと押しってくれ





2012年04月28日
2012年04月27日
久々のおやじっち
さてさて、
今日は、おやじっちファンの皆様のために
おやじっちネタを
どどどーんとお届けいたしまする(⌒◇⌒)
皆様ご存知の通り、
おやじっちはああ見えても…
え?見たことない?
ふむ…簡単に説明すると
うんち座りができないくらいお腹が出てて、
100均が大好きで
試合会場のベンチでガーガーいびきかいて
寝ちゃえる人で、
生クリームが大好きで
え?それはもういいから先にいけですと?
はい
とにかくおやじっちは
ベテランの全日本です
が!
2週間ほど前おやじっちが私に言いました。
「ひろみちゃん、やっちゃった」
「何やっちゃったの?」と当然ながら私は聞いた。
「今日、桐ちゃんから電話があってさ、
(注:桐ちゃんとはおやじっちのダブルスのパートナーである)
ぼくがランキングにのってないっていうんだよ」
は?のってない?なんで?( ̄~ ̄;)
「なんかさ
更新されてなかった
みたいなんだよね
」
「はあ?
それって、何?今からじゃ間に合わないの?」
「だめらしい
」
えっ!マジ

去年はいつになく調子がよくて、
今までで一番成績がよかったのに…
そのポイントが…
全部、ぱ

まじ、アホや
「ま、まあ、去年のポイントなくてもさ
全日本はいけるさ
関東と、まいトーと、あと一つ二つ出れば
楽勝楽勝
」
「おやじっち、顔、ひきつってるよ(;¬_¬)」
「う…( ̄_ ̄|||)……(T_T)
このあと、新たに登録しなおしたのだが、
当然ながら、去年のポイントはノーカンなので、
現在、おやじっちは
ベテランランキングの「どべ」にいるでござる
あわれなおやじっちに、どうぞ
励ましの1票を入れてくださりませ






追記;ちなみに、こういう時に限って優勝しちゃったりしてねなんて言ってたら本当に決勝までいき、まあ、決勝で負けたんでござるが、ポイントがつかないのにおやじっちの成績は実に見事でござった
今日は、おやじっちファンの皆様のために
おやじっちネタを
どどどーんとお届けいたしまする(⌒◇⌒)
皆様ご存知の通り、
おやじっちはああ見えても…
え?見たことない?
ふむ…簡単に説明すると
うんち座りができないくらいお腹が出てて、
100均が大好きで

試合会場のベンチでガーガーいびきかいて

生クリームが大好きで

え?それはもういいから先にいけですと?
はい

とにかくおやじっちは
ベテランの全日本です
が!
2週間ほど前おやじっちが私に言いました。
「ひろみちゃん、やっちゃった」
「何やっちゃったの?」と当然ながら私は聞いた。
「今日、桐ちゃんから電話があってさ、
(注:桐ちゃんとはおやじっちのダブルスのパートナーである)
ぼくがランキングにのってないっていうんだよ」
は?のってない?なんで?( ̄~ ̄;)
「なんかさ
更新されてなかった
みたいなんだよね

「はあ?

それって、何?今からじゃ間に合わないの?」
「だめらしい

えっ!マジ


去年はいつになく調子がよくて、
今までで一番成績がよかったのに…
そのポイントが…
全部、ぱ


まじ、アホや
「ま、まあ、去年のポイントなくてもさ
全日本はいけるさ

関東と、まいトーと、あと一つ二つ出れば
楽勝楽勝

「おやじっち、顔、ひきつってるよ(;¬_¬)」
「う…( ̄_ ̄|||)……(T_T)
このあと、新たに登録しなおしたのだが、
当然ながら、去年のポイントはノーカンなので、
現在、おやじっちは
ベテランランキングの「どべ」にいるでござる

あわれなおやじっちに、どうぞ
励ましの1票を入れてくださりませ







追記;ちなみに、こういう時に限って優勝しちゃったりしてねなんて言ってたら本当に決勝までいき、まあ、決勝で負けたんでござるが、ポイントがつかないのにおやじっちの成績は実に見事でござった

2012年04月20日
生きてるよ!
皆様、お元気でおじゃりますか?ヾ(@^▽^@)ノ
私はまあ、元気、と言っていいのかわからんが
まあ元気です
便りのないのは、元気の証拠とばかり、
皆様のご心配をよそに、このブログをほったらかしにしてしまって
本当にごめんなさいm(_ _)m
こんなにも、留守にしていたにもかかわらず、
私を見捨てず、ここを訪れてくれている人がいたことに
感謝の気持ちでいっぱいです

本当にありがとうございます。
病気が発覚し、はや2年
月日のたつものは早いものでおじゃる。
桜
も見れないかもと先生に言われたくせに
しぶといことに、既に3回桜を見れました
去年の桜は、息子の中学入学、
今年の桜は娘の高校の入学…
どんどん子供達は大きくなっていきまする
私はこの間、多くのことを経験させてもらいました。
病気になったことで、前には見えなかったものが見えてきて…
え?幽霊
でも見えるようになったのかって?
いや
、そっ、そういう意味でなくて
価値観が変わったというか、
方向性が変わったというか
まあ、おいおいお話できることもあるかもしれません。
本日のところはご心配してくださっている皆様へのしばらくぶりのご挨拶ってことで
ほいじゃ、また( ̄▽ ̄)ノ
私はまあ、元気、と言っていいのかわからんが


便りのないのは、元気の証拠とばかり、
皆様のご心配をよそに、このブログをほったらかしにしてしまって
本当にごめんなさいm(_ _)m
こんなにも、留守にしていたにもかかわらず、
私を見捨てず、ここを訪れてくれている人がいたことに
感謝の気持ちでいっぱいです


本当にありがとうございます。
病気が発覚し、はや2年

月日のたつものは早いものでおじゃる。
桜

しぶといことに、既に3回桜を見れました

去年の桜は、息子の中学入学、
今年の桜は娘の高校の入学…
どんどん子供達は大きくなっていきまする

私はこの間、多くのことを経験させてもらいました。
病気になったことで、前には見えなかったものが見えてきて…
え?幽霊

いや


価値観が変わったというか、
方向性が変わったというか

まあ、おいおいお話できることもあるかもしれません。
本日のところはご心配してくださっている皆様へのしばらくぶりのご挨拶ってことで

ほいじゃ、また( ̄▽ ̄)ノ
2010年06月10日
ちびくろサンボ
みなさま、こんにちは(⌒∇⌒)ノ
気がついたら、全仏
が終わってました
まあ、毎度のことでありますが、
エナンがローランギャロス
から去った時点で
私の全仏は終わっちまったので、
結局今年の全仏はほとんど見ずに終わっちまいました。
まあ、去年はエナンもいなかったから、
もっと見てないっすけど・・・
なははは~
さあて、
終わってしまった全仏のお話はこのくらいにして~
ここ最近の私の話をちらと・・・
ものすごく皆様に心配をおかけしておきながら、
大変恐縮ではありますが・・・
実はわたくし・・・(;¬_¬)
日々、色がかなり黒くなってきておりまする( ̄- ̄)
どのくらい黒いかと申しますと・・・・
どうやら、軽く普通一般人は越したようで
つい、最近まで、
「ひろみちゃんもすっかり白くなって~
」
とみんなに褒められ、
「いやあ、それほどでもぅ(〃⌒ー⌒〃)∫」
といいつつすっかり気分をよくした
私は、
ひそかに
「ようし!この際だから、私も
「美白」とやらをがんばってみ~ちゃおうっと
」
と思って
美白シリーズを買いそろえた矢先・・・・
「毎日、相当テニスやってるんでしょうね
」
と、私の格好を見て、
しげしげと言われ・・・・
おい~( ̄◇ ̄ *( ̄◇:;.:... ( ̄:;....::;.:
意味ね~じゃん
そんなにテニスやってるわけじゃないのに・・・
今度こそ
と思ったのに
私のメラニン色素の豊富さがうらめしい。
まあ、買ったとは言っても、
結局、ほとんど使ってなかったので、
もってるだけでは、なんの効果もあるわけないのじゃが
色の黒さだけではない
もう一つあるのでおじゃる。
実は、私、
つるっぱげになる前は、
ロン毛のストレートでありました。
でもこのストレートは偽物で
ホントはものすごい天パーなのです。
天パーってみんな「うらやましい
」と言うが、
ちっとも良くないのでおじゃる
確かにパーマをかけなくても
自然にクリクリになるなんてラッキー
という理屈なんだろうけど・・・
自然に・・・というところが実に、曲者。
天然は、あくまでも天然なもんで
本人の意思とは関係なく
勝手に好きな方向に\(^o\) (/o^)/
クリクリになってくのでおじゃる
というわけで、
私は今、
ものすごい勢いで、黒化し、
そして、頭はクリクリ天パーで・・・・
まさに、
「ちび黒サンボ」になりつつあります。
でも、まだサンボならいいかもな
もっと髪が伸びて、
ラーメンの小池さんなんて言われた日にゃ
いやじゃ~~っo(>< )o o( ><)o
あわれな私にお恵みのぽちっとしてちょ





気がついたら、全仏


まあ、毎度のことでありますが、
エナンがローランギャロス

私の全仏は終わっちまったので、
結局今年の全仏はほとんど見ずに終わっちまいました。
まあ、去年はエナンもいなかったから、
もっと見てないっすけど・・・

さあて、
終わってしまった全仏のお話はこのくらいにして~
ここ最近の私の話をちらと・・・

ものすごく皆様に心配をおかけしておきながら、
大変恐縮ではありますが・・・

実はわたくし・・・(;¬_¬)
日々、色がかなり黒くなってきておりまする( ̄- ̄)
どのくらい黒いかと申しますと・・・・
どうやら、軽く普通一般人は越したようで

つい、最近まで、
「ひろみちゃんもすっかり白くなって~

とみんなに褒められ、
「いやあ、それほどでもぅ(〃⌒ー⌒〃)∫」
といいつつすっかり気分をよくした

ひそかに
「ようし!この際だから、私も
「美白」とやらをがんばってみ~ちゃおうっと

と思って
美白シリーズを買いそろえた矢先・・・・
「毎日、相当テニスやってるんでしょうね

と、私の格好を見て、
しげしげと言われ・・・・
おい~( ̄◇ ̄ *( ̄◇:;.:... ( ̄:;....::;.:
意味ね~じゃん
そんなにテニスやってるわけじゃないのに・・・
今度こそ


私のメラニン色素の豊富さがうらめしい。
まあ、買ったとは言っても、
結局、ほとんど使ってなかったので、
もってるだけでは、なんの効果もあるわけないのじゃが

色の黒さだけではない

もう一つあるのでおじゃる。

実は、私、
つるっぱげになる前は、
ロン毛のストレートでありました。
でもこのストレートは偽物で
ホントはものすごい天パーなのです。
天パーってみんな「うらやましい

ちっとも良くないのでおじゃる

確かにパーマをかけなくても
自然にクリクリになるなんてラッキー

という理屈なんだろうけど・・・
自然に・・・というところが実に、曲者。
天然は、あくまでも天然なもんで
本人の意思とは関係なく
勝手に好きな方向に\(^o\) (/o^)/
クリクリになってくのでおじゃる

というわけで、
私は今、
ものすごい勢いで、黒化し、
そして、頭はクリクリ天パーで・・・・
まさに、
「ちび黒サンボ」になりつつあります。
でも、まだサンボならいいかもな

もっと髪が伸びて、
ラーメンの小池さんなんて言われた日にゃ

いやじゃ~~っo(>< )o o( ><)o
あわれな私にお恵みのぽちっとしてちょ






2010年05月21日
またいつかどこかで
おとといの19日・・・・
おやじっちのお父様、
じじちっちが亡くなりました

ちょうどお見舞いに行こうと病院に向かっているところ・・・
病院から連絡があり
私は、アクセル全開
ここ近年、すっかりなりを潜めていた
私の危険極まりない運転が炸裂

覆面が必ずいるという小田厚を疾走し

「捕まったら、思いきっり泣いてやる!
おまわわりさんだって人の子や。
パトカーで先導してくれっかもしんないし。
そや!捕まえてもらったほうがええかも」
・・・・しかし、ついぞ覆面は私を捕まえてくれず、
私は猛スピードと追い越し運転を駆使し
自力で病院に到着
階段をかけあがって病室にたどり着いた時、
病室には、聞きなれた「ピッピッピ」という規則音ではなく、
「ツー」という無情な音が鳴り響いていて、
泣き顔のお母さんがいて、
モニターを見ると、
どの数値も「0」になっていて・・・・。
( ̄◇ ̄ *( ̄◇:;.:... ( ̄:;....::;.:
もしや
こ、これは、俗にいう
死んでしまったってこと?
間に合わなかったってこと?
うっそ・・・違うよね?
と心に思ったけれど、
口には出せずにいたら、
看護師さんが、
「おやじっちさんは、あとどのくらいでつきますか?」
と、緊迫した様子で聞いてきたので
多分、もう来ると思うと伝えると、
じじちっちに向かって
「もうすぐくるって、じじちっちさん!がんばってね」
と声をかけたので、
っつうことは・・・・・?
「あ~まだ逝ってないってことか
」
と、胸をなでおろし、
お父さんに向かって、
お母さんと二人、声をかけ続けました。
お母さんは、
お父さんの目を無理やりこじあけ
「ほら、お父さん、
ひろみちゃんがきてくれたよ、
そうちゃんもすぐにくるよ。
がんばるんだよ」
と声をかけ、
私も、
お父さんの体をさすりながら、ゆすりながら
大声でしゃべりかけた。
声をかけるのと、モニターを見るのと、
交互に繰り返し、
とにかく声をかけなきゃ、呼ばなきゃって次から次へとなんでもかんでもしゃべり続けた。
「お父さんっっ
、
夜の海におっこちても助かったんだって言ってたじゃん。
何度も危ない目にあっても蘇ってきたじゃん。
今度もあと少しくらいがんばってよ!
もうすぐ、そうちゃん来るから!」
そう言った時、
モニターの数字が14にあがり・・・
「
もどった
お父さん!
聞こえる?聞こえてるよね?
エジプトのピラミッドの石、持ってきたよね?」
お父さんと過去に会話したこと、
なんでもかんでもしゃべり続けた。
「まだだよ、まだいっちゃだめだよ」
けれど、そう声をかけながら、
実は疑ってはいた
なぜならゆうべ来た時は、
あんなに苦しそうに息してたのに、
なんで今は苦しそうじゃないんだろう?
っつうか、どうして、肺が上下してないん?
息してなくない?
これって・・・・
でも、
私は、
「死」ということを口にできないまま
おやじっちが到着するのを待ち
声をかけ続けた。
だけど、
お医者さんがおやじっちと一緒に入ってきて、
すでに、お父さんは
そこにいないのだと知らされました。
目の前にお父さんはいるのに、
もういないのだと・・・・。
「でも、先生、さっき数値があがったんです。14に!」
と、納得のいかない私が聞くと、
「死後でも、硬直などで少しはあがることがあるんです」
あっさりと返答された。
じゃあ、なんで看護婦さんはもう少しがんばれってじじちっちちに言ってたの?
私が来た時にはやっぱりもう・・・・
享年86歳。
お茶目で、かわいいおじいちゃんでした。
じじちっちは、
3月初め、私が退院して横浜に帰ってきてすぐに、
体調を崩して入院
詳しく検査したところ、
悪性リンパ腫とわかり・・・
それも、私と同じ進行(末期)ガンですでに体中に転移してました
私と違ってたのは、
年齢と体力・・・それと、
リンパ腫はガンの中でも進行の早いガンだということ。
(ここでいう進行が早いとは、ガンの広がり方が早いということです。進行ガンとは別の意味です)
担当の先生から、
そのことを聞いた時、
涙があふれてきてたまらなかったとです。
自分の病気を知った時は、
涙も出ないどころか、
なんともなかったのに・・・・。
不思議です。
じじちっちの病気は、
私には、ショックでした。
血はつながってはないけど、
離婚し、子供たちと3人になった私たちに
かわいがってくれ
子供たちの運動会に来てくれたり、
一緒に食事にいったり、温泉いったり、
子供たちを本当の孫のようにかわいがってくれ
私のことも、
すごくかわいがってくれました。
船乗りで、年のほとんどを海の上で過ごし、
世界中のあちこちに行った人でした。
いつぞやは
今は世界遺産であるピラミッドの石を見せてくれ、
「あのう、お父さん、これって持って来ちゃいけないんじゃないの?」
「ほうか?落っこちとった」
「本当に?(;¬_¬)・・・ 」
「・・・・ちょっとな、コンってやったらのう、
欠けたからのう」
「本当に、コン?ゴンじゃなくてぇ?」
「そこは、ほれ・・・」
と、お父さんは、袖の下にものを入れるしぐさをして
にやっと笑ってた。
選挙の時に、お金をばらまくのとか、
「ほら、いけないことじゃろ
」
と言う事をさんざんやってきたらしいが、
もうすべて時効なんやろな、
あっけらかんと笑っておりました。
このおやじありて、息子ありだなあと
じじちっちとおやじっちを見ててよく思ったもんです。
本当に、じじちっちは
人に好かれ、かわいがられてました。
年寄りはさっぱりしたものが好きというけれど、
じじちっちは胃がんで胃が半分以上もないくせに
お肉をバリバリ食い
病院したその日まで、
一年365日、雨の日も風の日も一日も欠かさず
大好きなパチンコやに通って
本当に元気なじいさまでした。
先生曰く
あれだけ体中に、ガンがひろがっている状態だと
通常はもっと痛い思いをしたりするらしいのだが、
お父さんは、
痛みらしい痛みに襲われることもなく、
入院してから、3か月弱・・・
そう苦しい思いを長引かせることもなく
ある意味、
逝けたのは、
じじちっちが守られてたからかもしれません。
じじちっちのお見送りには
おやじっちも私も誰も喪服を着ません。
じじちっちが好きだったアロハシャツを
二人して着ていきます。
きっと喪服みたいのは
じじちっちは好きじゃないとおやじっちが言うので・・・。
海の男だったから、
どこへでも好きなところへ行けるよう
海に流してあげようと言ってます。
そうそう、
リキがこんなことを言ってました。
「ドラクエの呪文が使えたらなあ」
というので、
こんな時でもお前の頭の中は
「ゲームかよ
」と情けない気持ちになりながらもなんでか聞いてみたら、
「だってさ、
ザオリク使えば生き返らせられるじゃん
ルーラとか使えば、すぐにおじいちゃんちに行けるし」
そうだね。
それで、ベホマを唱えて、HP完全回復して・・・
キアリー唱えて、病気がお父さんの体から一瞬にして消えて
また元気にパチンコに通えたらどんなにかいいのにな・・・
お父さん、今まで、
私と子供たちをかわいがってくれてありがとう
また、どこかで会おうね




おやじっちのお父様、
じじちっちが亡くなりました


ちょうどお見舞いに行こうと病院に向かっているところ・・・
病院から連絡があり

私は、アクセル全開

ここ近年、すっかりなりを潜めていた
私の危険極まりない運転が炸裂


覆面が必ずいるという小田厚を疾走し


「捕まったら、思いきっり泣いてやる!
おまわわりさんだって人の子や。
パトカーで先導してくれっかもしんないし。
そや!捕まえてもらったほうがええかも」
・・・・しかし、ついぞ覆面は私を捕まえてくれず、
私は猛スピードと追い越し運転を駆使し
自力で病院に到着

階段をかけあがって病室にたどり着いた時、
病室には、聞きなれた「ピッピッピ」という規則音ではなく、
「ツー」という無情な音が鳴り響いていて、
泣き顔のお母さんがいて、
モニターを見ると、
どの数値も「0」になっていて・・・・。
( ̄◇ ̄ *( ̄◇:;.:... ( ̄:;....::;.:
もしや
こ、これは、俗にいう
死んでしまったってこと?
間に合わなかったってこと?
うっそ・・・違うよね?
と心に思ったけれど、
口には出せずにいたら、
看護師さんが、
「おやじっちさんは、あとどのくらいでつきますか?」
と、緊迫した様子で聞いてきたので
多分、もう来ると思うと伝えると、
じじちっちに向かって
「もうすぐくるって、じじちっちさん!がんばってね」
と声をかけたので、
っつうことは・・・・・?
「あ~まだ逝ってないってことか

と、胸をなでおろし、
お父さんに向かって、
お母さんと二人、声をかけ続けました。
お母さんは、
お父さんの目を無理やりこじあけ
「ほら、お父さん、
ひろみちゃんがきてくれたよ、
そうちゃんもすぐにくるよ。
がんばるんだよ」
と声をかけ、
私も、
お父さんの体をさすりながら、ゆすりながら
大声でしゃべりかけた。
声をかけるのと、モニターを見るのと、
交互に繰り返し、
とにかく声をかけなきゃ、呼ばなきゃって次から次へとなんでもかんでもしゃべり続けた。
「お父さんっっ

夜の海におっこちても助かったんだって言ってたじゃん。
何度も危ない目にあっても蘇ってきたじゃん。
今度もあと少しくらいがんばってよ!
もうすぐ、そうちゃん来るから!」
そう言った時、
モニターの数字が14にあがり・・・
「


聞こえる?聞こえてるよね?
エジプトのピラミッドの石、持ってきたよね?」
お父さんと過去に会話したこと、
なんでもかんでもしゃべり続けた。
「まだだよ、まだいっちゃだめだよ」
けれど、そう声をかけながら、
実は疑ってはいた

なぜならゆうべ来た時は、
あんなに苦しそうに息してたのに、
なんで今は苦しそうじゃないんだろう?
っつうか、どうして、肺が上下してないん?
息してなくない?
これって・・・・
でも、
私は、
「死」ということを口にできないまま
おやじっちが到着するのを待ち
声をかけ続けた。
だけど、
お医者さんがおやじっちと一緒に入ってきて、
すでに、お父さんは
そこにいないのだと知らされました。
目の前にお父さんはいるのに、
もういないのだと・・・・。
「でも、先生、さっき数値があがったんです。14に!」
と、納得のいかない私が聞くと、
「死後でも、硬直などで少しはあがることがあるんです」
あっさりと返答された。
じゃあ、なんで看護婦さんはもう少しがんばれってじじちっちちに言ってたの?
私が来た時にはやっぱりもう・・・・

享年86歳。
お茶目で、かわいいおじいちゃんでした。
じじちっちは、
3月初め、私が退院して横浜に帰ってきてすぐに、
体調を崩して入院

詳しく検査したところ、
悪性リンパ腫とわかり・・・
それも、私と同じ進行(末期)ガンですでに体中に転移してました

私と違ってたのは、
年齢と体力・・・それと、
リンパ腫はガンの中でも進行の早いガンだということ。
(ここでいう進行が早いとは、ガンの広がり方が早いということです。進行ガンとは別の意味です)
担当の先生から、
そのことを聞いた時、
涙があふれてきてたまらなかったとです。
自分の病気を知った時は、
涙も出ないどころか、
なんともなかったのに・・・・。
不思議です。
じじちっちの病気は、
私には、ショックでした。
血はつながってはないけど、
離婚し、子供たちと3人になった私たちに
かわいがってくれ
子供たちの運動会に来てくれたり、
一緒に食事にいったり、温泉いったり、
子供たちを本当の孫のようにかわいがってくれ
私のことも、
すごくかわいがってくれました。
船乗りで、年のほとんどを海の上で過ごし、
世界中のあちこちに行った人でした。
いつぞやは
今は世界遺産であるピラミッドの石を見せてくれ、
「あのう、お父さん、これって持って来ちゃいけないんじゃないの?」
「ほうか?落っこちとった」
「本当に?(;¬_¬)・・・ 」
「・・・・ちょっとな、コンってやったらのう、
欠けたからのう」
「本当に、コン?ゴンじゃなくてぇ?」
「そこは、ほれ・・・」
と、お父さんは、袖の下にものを入れるしぐさをして
にやっと笑ってた。
選挙の時に、お金をばらまくのとか、
「ほら、いけないことじゃろ

と言う事をさんざんやってきたらしいが、
もうすべて時効なんやろな、
あっけらかんと笑っておりました。
このおやじありて、息子ありだなあと
じじちっちとおやじっちを見ててよく思ったもんです。
本当に、じじちっちは
人に好かれ、かわいがられてました。
年寄りはさっぱりしたものが好きというけれど、
じじちっちは胃がんで胃が半分以上もないくせに
お肉をバリバリ食い

病院したその日まで、
一年365日、雨の日も風の日も一日も欠かさず
大好きなパチンコやに通って
本当に元気なじいさまでした。
先生曰く
あれだけ体中に、ガンがひろがっている状態だと
通常はもっと痛い思いをしたりするらしいのだが、
お父さんは、
痛みらしい痛みに襲われることもなく、
入院してから、3か月弱・・・
そう苦しい思いを長引かせることもなく
ある意味、
逝けたのは、
じじちっちが守られてたからかもしれません。
じじちっちのお見送りには
おやじっちも私も誰も喪服を着ません。
じじちっちが好きだったアロハシャツを
二人して着ていきます。
きっと喪服みたいのは
じじちっちは好きじゃないとおやじっちが言うので・・・。
海の男だったから、
どこへでも好きなところへ行けるよう
海に流してあげようと言ってます。
そうそう、
リキがこんなことを言ってました。
「ドラクエの呪文が使えたらなあ」
というので、
こんな時でもお前の頭の中は
「ゲームかよ

「だってさ、
ザオリク使えば生き返らせられるじゃん
ルーラとか使えば、すぐにおじいちゃんちに行けるし」
そうだね。
それで、ベホマを唱えて、HP完全回復して・・・
キアリー唱えて、病気がお父さんの体から一瞬にして消えて
また元気にパチンコに通えたらどんなにかいいのにな・・・

お父さん、今まで、
私と子供たちをかわいがってくれてありがとう

また、どこかで会おうね





2010年05月14日
ただいま~でおじゃる
みなさま、ただいまですぅ(@^▽^@)
長らくのごぶさたでございました

最後の更新は、
まだまだ春

気がつけば

葉桜もとうに新緑になり、
すっかり初夏の気漂う季節


こんなにも長い間、
全く音沙汰なしだったにも関わらず、
私を見捨てず、
ずっと心にかけていただき、
本当に本当に・・・
ありがとうございますm(_ _)m
自分はちっとも更新しないくせに

皆様からの暖かいコメントを何度も読み返しては、
そのたびにうるうるし


ひそかに勇気をいただいちょりました




本当にありがとうございました。
これまでに何度も、
皆様のコメントを読んでは
何度も、
書こう、書こうと・・・
実際書いたりもしてたんだけどぅ・・・
ついぞ書きあがらず・・・・

でも、
いてぃごさんのメールに背中押され、
これほど心配してくださってる皆様に、
私がこうして生きちょることを知らせないでいるのは、
不義理やなあと思い
えいや~っ、一言でもと書き始めました。
一体全体、
この3カ月何してたわけ?
と皆様お思いでしょうが、
それは、今日ではなくまた次回書きますので・・・
話せば、長いような、短いような・・・( ̄~ ̄;)
コメントへのお返事も
必ず書いていきますので、
どうか今しばらくお待ちを

お


ずっとおあずけにしていた、
「続き」もかかにゃならんしぃ

そじぇでは、
今日のところは、
このあたりでおいとまを・・・
また、近いうちに会えますから。
って、今晩だったりして

いやいや、また3か月後だったりして・・・

うそうそ、すぐに書くけん

最後になりますが
皆様本当に、ありがとうございました。
「希望」とか、「勇気」とか、
なんか言葉に出すの照れくさいけど、
少なくとも、私は、
ここ3カ月、皆様からのコメントから、
「希望」とか「勇気」をもらい続けてました。
こんなに更新してなくたって

心配してくれる人がいる。
待っててくれる人がいる。
それは、私にとっちゃ、
帰る場所がある・・・みたいな「希望」であり、
帰ろうとする「勇気」になりました。
本当にブログやっててよかったざんす

ありがとう

2010年02月24日
生還じゃ(`◇´)ゞ
ここ最近、
私のこのブログ更新は、
ひろみは今日も元気だす!
v(≧∇≦)v イェェ~イ♪
という証拠になっているようで・・・・
それが3日も更新しないでいると・・・・
さすがに心配をかけてしまってるところに
追い打ちをかけるようで、
まことに恐縮なのだが・・・
その心配、
ぴんぽ~んだす
驚くことなかれ・・・
この更新できなかった3日の間、
実は私、まじ
死にはぐっちゃったのねん
驚いたざんしょう?
私もびっくらたまげたざんす
月曜日(22日)は、
先日やった検査の結果がでる日で、
病棟に寄って、田沼さんのお顔を見て
から、
先生の診察を受けました。
検査の結果如何では、抗ぽん剤続行
か否か
、
相談する日だったのだが、
幸い
、多少ながら
抗ぽん剤が効き始めておったのであります

けれど
前回も白血球の注射を打っても熱が出ちゃった
という経緯があり、
これまでは毎回抗生物質が効いてくれて大事には至らなかったものの、
次回も逃れられるかというとそんな保障もなく
迷うところではあったが、
せっかく効き始めた抗ぽん剤。
ここでやめては女がすたる
いや、そういう意味ではなくて・・・
その抗ぽん剤はもう一生使えないそうで・・・
2か月は横浜には帰れませんよと先生に言われたが、
(何かあったらすぐに病院に行けるとこにいる)
抗ぽん剤を受けることにして病室に入ったとです
前々回、前回と
アレルギー症状を起こしていたが、
今回はあらかじめアレルギー緩和の点滴を流してから、
抗ぽん剤と聞いていたので、
安心してうとうとし始め、
抗ぽん剤が始まって2,3分後・・・・
また、
前回と同じ、
お星さ~ま
チカチカ

が訪れ、
おなじみのナースコールをプッシュ
2回目となれば、
さすがに看護師さんも
予測はしていたようで、
すぐに車いす持参でかけつけてくれ
今度は4人がかりで
トイレにダッシュε=ε=ε=(o- -)o
そこまでは前回と同様だったのだが・・・・
そこから先が違った。
私の意識がなくなってしまったのである
意識をなくしていた時間がどのくらいかわからないが、
次に、
私がうっすら意識を戻した時には、
もうてんやわんやのおお騒ぎになっており・・・
看護師さんだけじゃなく
主治医の先生はじめ
腫瘍科の先生全員・・・・
まるでドラマで見る、
救急病棟の急患が運ばれてきた状態の再現。
「○○バイタル!」
「脈拍○○!」
「ICUに連絡してっ!」
「岡さ~ん!聞こえますか~!!」
その様子から・・・・
今、私かなり
やばいんじゃね~(;¬_¬)
と、自分の置かれてる状態を把握
酸素マスクしてもらってるくせに
吸っても吸っても苦しいし
体中痛いし、
とにかくもうわけわからんくらい
苦しく・・・・
死んでもおかしくないくらいじゃったが・・・
いや、
その時は
本当にそうだったので笑いごとではないのじゃが
「う~~ん、入らない・・・だめだ。
こっちはどうかな・・・」
と、注射がうまく入らない先生を見てて、
そうか、この先生でも慌てるってことあるのか
とか・・・
まわりの騒然な様子に
わあ、ドラマみたい~( ̄◇ ̄;)
なんて、思ってたり・・・・
先生や、看護師さんが、
私の命を助けるために必死な時に・・・・
こいつは、そんなこと思ってたのかっ=○)゜O゜)
と怒鳴られそうなので
ここだけの秘密
でも、まあ、
先生たちが泡食ってる時に、
酸素マスクをはずして
「先生・・・私・・もしかして・・・
かなり・・・やばい?・・・」
って、きけたくらいだから
私の頭の中身くらいお見通しかもしれんが・・・・
それどころじゃねえっつうの
って状態だったろうに
普段はあまり笑ったりしない先生なのに、
「今、みんながんばってるからね」
と、その時は少しだけ笑ってくれ、
先生のやさしさをかいま見た感じがした。
多分その頃は、
まだどっちに転んでもおかしくない時だったと思う。
だけど、
驚くことに
そこまでの状態になると、
身体と頭は別物になるようである
体は確かに苦しいのだが、
頭の中は苦しくないので、
すべての状態がよくわかっていて
思考はまっこと冷静なのである
そのまま、
また、おなじみになったICUに
速効運ばれε=ε= (;>o<)
いろんな先生が、
入れ替わり立ち替わり処置してくれ、
身体が勝手にがくがくと震える中
先生が、
握ってくれていた手がとても温かく・・・・
大変な状況であったのはわかっていたのだが、
とぎれとぎれでも口は聞けたので、
何が起きたのか聞くと、
「アナフィラキシーショックっていって、
アレルギーのショック状態になったんだよ・・・
ごめんね」
「先生のせいじゃないよ・・・・
そんなの・・・
予測つかんもんね
」
その後、
諸先生がたや、看護師さんたちの
おかげで、
危機を脱し、
ぶじ生還いたしましたっ(`◇´)ゞ
いや、まじでしゃれにならんし
すっかり騒ぎも収まったころ、
連絡を受けた母と妹も到着
実はこの二人、
先生の診察に一緒についてきてくれていたのだが、
私が病室に入って元気なのを見届け
帰っていったのであるが・・・・
ほんのちょびっと帰るのが早かったらしい
実にその数分後、
大変なことになったわけじゃから
二人はそんなことになってるとは知らず、
病院の近所で
おいしい
と評判の有名なラーメンやに
いっていたそうである
まあ、
たくさんの薬を入れられたせいで、
私の顔も手足も
ぶくぶくに膨れあがり、
足はいまだに象さんのままであるが、
すっかり元気であります!(@^▽^@)ゞ
先生はその後、
何度も様子を見に来てくれ、
すっかり落ち着いたあとで聞いたのだが、
先生がこの病院に来てから、
3人の患者さんが同じ症状になったそうで、
一人は、亡くなられたそうじゃ
(先生の患者ではなかったが)
「本当に助かってよかった」
と、笑顔で安堵しておりました。
確かに・・・・( ̄- ̄)
あやうく、2人目になるとこやったもんな
ありがとう
先生
看護師さ~ん
ありがとうついでに、ものは試しと恐る恐る先生に・・・
「あのう・・・・病棟なら、田沼さんと同じ部屋がいいなあ
」
と、言ったら、
本当に田沼さんと同じ部屋にしてくれたとです
翌日、ICUをあとにして、
私が、パジャマを着て、
病室に入って行った時の田沼さん顔・・・
口をあんぐりと開けて、
腰抜かさんばかりの表情でござった
そりゃ、そうである。
田沼さんの部屋に行って、
元気におしゃべりして、バイバイしたのは前の日。
その翌日、私が、
パジャマを着て現れたのであるから
いるはずのない私が突如現れたのだから、
無理もない話である。
驚かせてごめんなさい。
でも、たった一日でしたが、
また田沼さんとお話ができて、
楽しいひと時をすごさせてもらいました。
朝
二人で、
昇る朝日を拝みました。
田沼さんが私の背中をすりすりなでてくれ
病気がすっかり体から抜けていくように・・・・・
よくなりますように・・・・
願いを込めて、
背中をなでてくれました。
苦しかった時、
ずっと手を握ってくれていた先生の手と同じ、
背中がとても、とってもあったかく感じました。
私は、
今日も生きています。
きっと、みんなに
生かさせてもらってます。
ありがとう
まだ、息苦しさはあるので、
とりあえず、
今日のところはご報告まで!
体調と相談して、
更新しますので!ご心配なさらずに!
森田!また、栃木まで飛んでくるんじゃないぞ!
どうか私が更新できない間も見捨てず、
ぽちっとよろちくね




私のこのブログ更新は、
ひろみは今日も元気だす!
v(≧∇≦)v イェェ~イ♪
という証拠になっているようで・・・・

それが3日も更新しないでいると・・・・
さすがに心配をかけてしまってるところに
追い打ちをかけるようで、
まことに恐縮なのだが・・・
その心配、
ぴんぽ~んだす

驚くことなかれ・・・
この更新できなかった3日の間、
実は私、まじ
死にはぐっちゃったのねん

驚いたざんしょう?
私もびっくらたまげたざんす

月曜日(22日)は、
先日やった検査の結果がでる日で、
病棟に寄って、田沼さんのお顔を見て

先生の診察を受けました。
検査の結果如何では、抗ぽん剤続行


相談する日だったのだが、
幸い

抗ぽん剤が効き始めておったのであります


けれど
前回も白血球の注射を打っても熱が出ちゃった

これまでは毎回抗生物質が効いてくれて大事には至らなかったものの、
次回も逃れられるかというとそんな保障もなく

迷うところではあったが、
せっかく効き始めた抗ぽん剤。
ここでやめては女がすたる

いや、そういう意味ではなくて・・・

その抗ぽん剤はもう一生使えないそうで・・・

2か月は横浜には帰れませんよと先生に言われたが、
(何かあったらすぐに病院に行けるとこにいる)
抗ぽん剤を受けることにして病室に入ったとです

前々回、前回と
アレルギー症状を起こしていたが、
今回はあらかじめアレルギー緩和の点滴を流してから、
抗ぽん剤と聞いていたので、
安心してうとうとし始め、
抗ぽん剤が始まって2,3分後・・・・
また、
前回と同じ、
お星さ~ま



が訪れ、
おなじみのナースコールをプッシュ

2回目となれば、
さすがに看護師さんも
予測はしていたようで、
すぐに車いす持参でかけつけてくれ

今度は4人がかりで
トイレにダッシュε=ε=ε=(o- -)o
そこまでは前回と同様だったのだが・・・・
そこから先が違った。
私の意識がなくなってしまったのである

意識をなくしていた時間がどのくらいかわからないが、
次に、
私がうっすら意識を戻した時には、
もうてんやわんやのおお騒ぎになっており・・・
看護師さんだけじゃなく
主治医の先生はじめ
腫瘍科の先生全員・・・・
まるでドラマで見る、
救急病棟の急患が運ばれてきた状態の再現。
「○○バイタル!」
「脈拍○○!」
「ICUに連絡してっ!」
「岡さ~ん!聞こえますか~!!」
その様子から・・・・
今、私かなり
やばいんじゃね~(;¬_¬)
と、自分の置かれてる状態を把握

酸素マスクしてもらってるくせに
吸っても吸っても苦しいし
体中痛いし、
とにかくもうわけわからんくらい
苦しく・・・・

死んでもおかしくないくらいじゃったが・・・

いや、
その時は
本当にそうだったので笑いごとではないのじゃが

「う~~ん、入らない・・・だめだ。
こっちはどうかな・・・」
と、注射がうまく入らない先生を見てて、
そうか、この先生でも慌てるってことあるのか

とか・・・
まわりの騒然な様子に
わあ、ドラマみたい~( ̄◇ ̄;)
なんて、思ってたり・・・・
先生や、看護師さんが、
私の命を助けるために必死な時に・・・・
こいつは、そんなこと思ってたのかっ=○)゜O゜)
と怒鳴られそうなので

ここだけの秘密

でも、まあ、
先生たちが泡食ってる時に、
酸素マスクをはずして
「先生・・・私・・もしかして・・・
かなり・・・やばい?・・・」
って、きけたくらいだから
私の頭の中身くらいお見通しかもしれんが・・・・

それどころじゃねえっつうの


普段はあまり笑ったりしない先生なのに、
「今、みんながんばってるからね」
と、その時は少しだけ笑ってくれ、
先生のやさしさをかいま見た感じがした。
多分その頃は、
まだどっちに転んでもおかしくない時だったと思う。
だけど、
驚くことに
そこまでの状態になると、
身体と頭は別物になるようである
体は確かに苦しいのだが、
頭の中は苦しくないので、
すべての状態がよくわかっていて
思考はまっこと冷静なのである

そのまま、
また、おなじみになったICUに
速効運ばれε=ε= (;>o<)
いろんな先生が、
入れ替わり立ち替わり処置してくれ、
身体が勝手にがくがくと震える中
先生が、
握ってくれていた手がとても温かく・・・・
大変な状況であったのはわかっていたのだが、
とぎれとぎれでも口は聞けたので、
何が起きたのか聞くと、
「アナフィラキシーショックっていって、
アレルギーのショック状態になったんだよ・・・
ごめんね」
「先生のせいじゃないよ・・・・

そんなの・・・
予測つかんもんね

その後、
諸先生がたや、看護師さんたちの
おかげで、
危機を脱し、
ぶじ生還いたしましたっ(`◇´)ゞ
いや、まじでしゃれにならんし

すっかり騒ぎも収まったころ、
連絡を受けた母と妹も到着

実はこの二人、
先生の診察に一緒についてきてくれていたのだが、
私が病室に入って元気なのを見届け
帰っていったのであるが・・・・
ほんのちょびっと帰るのが早かったらしい

実にその数分後、
大変なことになったわけじゃから

二人はそんなことになってるとは知らず、
病院の近所で
おいしい

いっていたそうである

まあ、
たくさんの薬を入れられたせいで、
私の顔も手足も
ぶくぶくに膨れあがり、
足はいまだに象さんのままであるが、
すっかり元気であります!(@^▽^@)ゞ
先生はその後、
何度も様子を見に来てくれ、
すっかり落ち着いたあとで聞いたのだが、
先生がこの病院に来てから、
3人の患者さんが同じ症状になったそうで、
一人は、亡くなられたそうじゃ

「本当に助かってよかった」
と、笑顔で安堵しておりました。
確かに・・・・( ̄- ̄)
あやうく、2人目になるとこやったもんな

ありがとう



ありがとうついでに、ものは試しと恐る恐る先生に・・・
「あのう・・・・病棟なら、田沼さんと同じ部屋がいいなあ

と、言ったら、
本当に田沼さんと同じ部屋にしてくれたとです

翌日、ICUをあとにして、
私が、パジャマを着て、
病室に入って行った時の田沼さん顔・・・
口をあんぐりと開けて、
腰抜かさんばかりの表情でござった

そりゃ、そうである。
田沼さんの部屋に行って、
元気におしゃべりして、バイバイしたのは前の日。
その翌日、私が、
パジャマを着て現れたのであるから

いるはずのない私が突如現れたのだから、
無理もない話である。
驚かせてごめんなさい。
でも、たった一日でしたが、
また田沼さんとお話ができて、
楽しいひと時をすごさせてもらいました。
朝
二人で、
昇る朝日を拝みました。
田沼さんが私の背中をすりすりなでてくれ
病気がすっかり体から抜けていくように・・・・・
よくなりますように・・・・
願いを込めて、
背中をなでてくれました。
苦しかった時、
ずっと手を握ってくれていた先生の手と同じ、
背中がとても、とってもあったかく感じました。
私は、
今日も生きています。
きっと、みんなに
生かさせてもらってます。
ありがとう
まだ、息苦しさはあるので、
とりあえず、
今日のところはご報告まで!
体調と相談して、
更新しますので!ご心配なさらずに!
森田!また、栃木まで飛んでくるんじゃないぞ!
どうか私が更新できない間も見捨てず、
ぽちっとよろちくね





2010年02月21日
感謝の反対
昨日ルンルン
でテニスに行ったはいいものの・・・・
帰ってきたら、
もう座ったまま動けないくらい疲れてて
筋力だけじゃなくて、
恐ろしく体力も落ちてることを実感しやした
前は、朝から晩までコート中走りまわってても、
「まだまだやりた~いo(><)(;><)o」って
だだをこねてたくらいだったのが、
昨日はまるで、
両足に砂袋ぶらさげて走ってるみたい

、
前には余裕で取れてたボール
にも追いつかず、
テニスをやって初めて、
地球の引力
を感じたとです
今までできていたことができなくなるってことは、
思った以上に、
いやなもんでおじゃるのう
たとえば、それが、
年を取ってできなくなるにしても・・・
病気でできなくなるにしても・・・・
どんな理由であっても、
それを受け入れるという作業は
簡単じゃないんだと気づかされたでおじゃる。
うちの父は、
昔から運転
が得意で
道もよ~く知ってるのだが、
お正月に子供たちが実家
に来て帰る時、
駅まで送っていったのはいいが、
途中で道を間違え、
電車
に乗り遅れそうになったり・・・
私が夜に熱が出て、
病院
に向かってる途中、
右折ラインと、
対向車線のラインを
間違えて進んでしまったり・・・・
ものすごく危ないので、
それから、
急ぐ時や、暗くなってからの運転は、
私がやるからと言って、
父にハンドルを握ってもらわなかったら・・・
ある日ぽつりと・・・・
「もうお父さんも、免許返したほうがいいかなあ」
「前ならすぐに道もわかったけど、
どうも出てこなくなったよ・・・・」
「にぶくなったなあ、お父さんも・・・・」
と、すごく寂しそうに言ったのでおじゃる。
運転や、道路は、
自分が得意だったものだから、
よけいに、それが衰えたことを受け入れるのは
つらかったんだろうな
私としては、
父も危ないし、
世間一般的にも危ないし
良かれと思って、
父に運転をさせなかったのだけど・・・・
だけど、
頼ってもらえないことを、
父は、すごくこたえていたようで・・・
その時の父の気持が、
今、少しだけわかった気がします。
私に限っていえば、
病気になったことで
できなくなってしまったものはたくさんあるけれど、
でも、
病気になったからこそ
わかったこととか、
気づかされたことのほうが
今の私にとっては宝物だったりして・・・・
失ったものの大きさと同じ分だけ、
ちゃんと代わりのものもらってる
ある人が・・・・
「感謝」の反対は・・・・
「当たり前」
と言ったのだけど・・・
朝目覚めること
、
お腹がすくこと
ご飯
を食べること、
身体がそれを消化してくれること
排泄すること
眠くなること

家族が健康なこと
テニスすること
仕事すること
爆弾が飛んでこない屋根のある家
に住めること
ごくごく当たり前のものって
あって当たり前だから、
なくなってくれるまでちっとも私にはわからなくて・・・・
だから、なくなって初めて、
すごいことだったんだって
そのすごさに気づかされた感じ。
多分、それをみつけてほしいから
神様は、
私に「病気」というプレゼントをよこしたんだろうなと
思うのです。
きっと、今回のプレゼントには、
まだまだ、
みつけなきゃいけない、シークレットが
隠されてる感じがする
次はなんなんだろう。
順番が逆になったけど、
おやじっちの言葉もその一部かもしれないにゃ。
本当は、
そっちのほうが先だったんだけど、
お風呂に入りながら、
リキにその話をしていて、
こっちのほうが書きたくなったので、
順番が違ってしまったが、
おやじっちのほうも書くから、
どうかお待ちを!!
だけど、あれはちょっち、時間がかかるのねん。
ひとまず、今晩はこのあたりでおやすみなさいませ。
あさって、診察があるので、
明日の夜には栃木に向かうでおじゃる。
明日、昼間におやじっち語録完成すればいいのじゃが・・・
いつも一日かかるから、わからないのねん。
がんばるけど、
もし、間に合わなかったらごめんちゃい
私が書く元気の源、ぽちっといっぱいよろしくぴ!
いっぱいになってたら、勇気百倍、スピードも百倍かも





帰ってきたら、
もう座ったまま動けないくらい疲れてて

筋力だけじゃなくて、
恐ろしく体力も落ちてることを実感しやした

前は、朝から晩までコート中走りまわってても、
「まだまだやりた~いo(><)(;><)o」って
だだをこねてたくらいだったのが、
昨日はまるで、
両足に砂袋ぶらさげて走ってるみたい



前には余裕で取れてたボール

テニスをやって初めて、
地球の引力


今までできていたことができなくなるってことは、
思った以上に、
いやなもんでおじゃるのう

たとえば、それが、
年を取ってできなくなるにしても・・・
病気でできなくなるにしても・・・・
どんな理由であっても、
それを受け入れるという作業は
簡単じゃないんだと気づかされたでおじゃる。
うちの父は、
昔から運転

道もよ~く知ってるのだが、
お正月に子供たちが実家

駅まで送っていったのはいいが、
途中で道を間違え、
電車


私が夜に熱が出て、
病院

右折ラインと、
対向車線のラインを
間違えて進んでしまったり・・・・

ものすごく危ないので、
それから、
急ぐ時や、暗くなってからの運転は、
私がやるからと言って、
父にハンドルを握ってもらわなかったら・・・
ある日ぽつりと・・・・
「もうお父さんも、免許返したほうがいいかなあ」
「前ならすぐに道もわかったけど、
どうも出てこなくなったよ・・・・」
「にぶくなったなあ、お父さんも・・・・」
と、すごく寂しそうに言ったのでおじゃる。
運転や、道路は、
自分が得意だったものだから、
よけいに、それが衰えたことを受け入れるのは
つらかったんだろうな

私としては、
父も危ないし、
世間一般的にも危ないし

良かれと思って、
父に運転をさせなかったのだけど・・・・

だけど、
頼ってもらえないことを、
父は、すごくこたえていたようで・・・

その時の父の気持が、
今、少しだけわかった気がします。
私に限っていえば、
病気になったことで
できなくなってしまったものはたくさんあるけれど、
でも、
病気になったからこそ
わかったこととか、
気づかされたことのほうが
今の私にとっては宝物だったりして・・・・
失ったものの大きさと同じ分だけ、
ちゃんと代わりのものもらってる

ある人が・・・・
「感謝」の反対は・・・・
「当たり前」
と言ったのだけど・・・
朝目覚めること

お腹がすくこと
ご飯

身体がそれを消化してくれること
排泄すること
眠くなること


家族が健康なこと
テニスすること

仕事すること

爆弾が飛んでこない屋根のある家

ごくごく当たり前のものって
あって当たり前だから、
なくなってくれるまでちっとも私にはわからなくて・・・・
だから、なくなって初めて、
すごいことだったんだって
そのすごさに気づかされた感じ。
多分、それをみつけてほしいから
神様は、
私に「病気」というプレゼントをよこしたんだろうなと
思うのです。
きっと、今回のプレゼントには、
まだまだ、
みつけなきゃいけない、シークレットが
隠されてる感じがする

次はなんなんだろう。
順番が逆になったけど、
おやじっちの言葉もその一部かもしれないにゃ。
本当は、
そっちのほうが先だったんだけど、
お風呂に入りながら、
リキにその話をしていて、
こっちのほうが書きたくなったので、
順番が違ってしまったが、
おやじっちのほうも書くから、
どうかお待ちを!!
だけど、あれはちょっち、時間がかかるのねん。
ひとまず、今晩はこのあたりでおやすみなさいませ。
あさって、診察があるので、
明日の夜には栃木に向かうでおじゃる。
明日、昼間におやじっち語録完成すればいいのじゃが・・・
いつも一日かかるから、わからないのねん。
がんばるけど、
もし、間に合わなかったらごめんちゃい

私が書く元気の源、ぽちっといっぱいよろしくぴ!
いっぱいになってたら、勇気百倍、スピードも百倍かも




